2020/02/15

流行り

流行りに乗る・・・・・

とても軽薄な印象のあるもの言いです。

流行り廃りがあり、廃れるものは大したことのない事、そんな前提でしょうか。


私が新卒の頃、25年程前の木材は、
表情が繊細、材色が均一、狂いの少ない「柾目」がよい
とされる傾向が強かったです。
さらに柾目の木材は、工場では腕のよい職人によりミリ単位以下の精度、
現場では思慮深い職人により材質・材色を選別整理されるべき材料。
と、教えられました。

表情豊かな板目は安っぽい材、フシがあるものなど言語道断、そんな雰囲気でした。

しかし、最近では「板目」が主流。
表情豊かな素材として、それこそフシだって、それはそれで面白い
という傾向もあります。
加工についても、使い勝手に支障なければ、少々の粗さはぬくもりがある。
なんだか以前より、楽しく使われている感覚さえあります。

近年は国の政策もあり、木・木造・木材が見直され、
新しい構造、見せ方、使われ方も多様化しています。

「空前の木材ブーム」です。

そうなると、木質化ブームに乗ることは「軽薄」なのでしょうか?

国策ですから、建築業界たけでなく、流通・産業も変化を求められています。
変化は進化でもあります。
25年前とは流通も産業も技術が進んでいます。
私たちの手元に届くモノも変化・進化しているです。

つまり「流行りにのる」ことができるのは、
状況が変化・進化し、新しい価値を見いだす・見直すことができた結果なのです。

建築は一度造ると永い年月残ります。
造り手も永く快適に使って頂きたいので、その為多くのノウハウと労力を注ぎます。
ただ、その過程で、飽きない・変わらない「価値観」まで造る気持ちが入り込む。

しかし、そもそも何十年も価値観が見直されないことも如何なものでしょうか。

建築は永く残りますが、造るのはその存するスパンから比べたら一時。
そして、必ずその「造る一時」の時代背景に影響は受けてしまいます。

であるならば、むしろ前向きに「流行りに乗る」ことはできないでしょうか。

造った時の「思い出」。

「造る一時」は時間の経過と共に「思い出」になります。


流行りに乗る・・・・・

流行り廃りがあり、廃れるものは大したことのない事、となってしまうのは「ただ享受」した結果。

思慮・検討は、変化・進化に繋がり、それは、思い出の積み重ねに繋がっています。

つまり、「流行りに乗る」ことは、ポジティブに捉えるべきで、向き合い、某かに繋げていくことのできる行為・創造活動であるのです。



aiz web : www.a-iz.co.jp

本物の素材



建築設計の創り手からよく聞かれるのが「本物の素材は飽きない」という話。
そもそも、フェイクはどれだけよくできていても、
本物の素材がもつ「風合い」「存在感」等はとても敵いません。

しかし「飽きない」という言葉遣いは少々「その意味」の履き違えがあります。
人の心理を考えますと「変化しない」ものは「飽きやすい」です。
人工建材は「劣化」という「好ましくない変化」をしているので「飽きやすい」のです。
本物=天然素材は「風合いが増す」ので「よい変化」をしているので「飽きがきずらい」。

飽きる飽きないは、本物の素材云々ではなく「人の心理変化」と向きうべきで、
創り手が語る「飽きない」は、あくまで物質価値という、とても狭い領域にあります。

ちょっと厳しい表現をしますと、
「本物の素材は飽きない」という論理の創り手は、本物の素材を活かしてはいません。
本物の素材に頼ってモノづくりをしているのです。