こんにちは。アトリエアイズ代表・管理建築士の今井博康です。
序章の三回では、川崎のまちの現在地を見たうえで、一つの建物がまちを変えること、そして街並みが道・地形・隣の建物・暮らしとの関係から始まることを考えてきました。
今回からは、その視点で川崎のまちそのものを読んでいきます。
最初に向き合うのは、このまちの最も古い層です。川崎は、東海道の宿場町として始まりました。
今回の問いは、これです。宿場町の記憶は、どこに残っているのか?
東海道の宿場として始まった川崎
川崎宿が開かれたのは、元和9年(1623年)のことです。東海道の品川宿と神奈川宿の間に、後から加えられた宿場でした。両隣の宿場は、人馬を継ぎ立てる負担が重く、その軽減のために中間に新しい宿が置かれました。川崎は、街道を支える役目を担って生まれたまちだったのです。宿の北には六郷川、いまの多摩川が流れていました。宝永元年(1706年)に本陣を継いだ田中休愚は、この川の渡船を川崎宿で請け負えるよう幕府に働きかけ、その収益で宿の財政を立て直したとされています。川と街道が、宿場の暮らしを支えていました。
参考:川崎市 東海道川崎宿/国土交通省 横浜国道事務所 東海道Q&A
街道に沿って、細長く延びたまち
川崎宿は、新宿・砂子の2町から始まり、のちに久根崎・小土呂を加えた4つの町で構成されました。宿の範囲は、江戸側の入口である江戸口土居(いまの六郷橋のあたり)から、京側の京口土居(いまの小川町のあたり)まで、約1.5キロメートル。まちは、街道に沿って細長く延びていました。街道沿いには本陣が置かれ、天保期の記録では72軒の旅籠が並んでいたとされます。なかでも旅籠「万年屋」は、文久3年の記録で宿内最大の規模を誇り、名物の奈良茶飯でも知られていました。まちの中心にあったのは、一本の道でした。人も物も情報も、この道を通って行き交っていたのです。
参考:川崎市 東海道川崎宿
宿場町の姿は、なぜ見えなくなったのか
明治に入ると、川崎のまちは大きく変わり始めます。
明治5年(1872年)、新橋と横浜の間に日本初の鉄道が開通し、川崎駅が開業しました。明治32年(1899年)には、川崎と川崎大師を結ぶ電気鉄道、いまの京急大師線が営業を始めます。人の流れの中心は、街道から鉄道へと移っていきました。やがて臨海部には工場が立ち並び、大正13年(1924年)には川崎市が誕生します。宿場町は、工業都市へと姿を変えていきました。
そして昭和20年(1945年)4月15日の川崎大空襲。市の中心部は、市役所などを残して焼け野原となりました。街道沿いに並んでいた本陣や旅籠は、いまは「田中本陣跡」「佐藤本陣跡」のように、「跡」として名をとどめるだけになりました。宿場の家並みは、現代的なビル群に変わっています。
参考:川崎市 環境デジタルアーカイブ 川崎のまちの移り変わり/川崎市 川崎大空襲に関する報道発表資料
それでも、残っているもの
建物は失われました。けれど、宿場町の記憶がすべて消えたわけではありません。
道筋 六郷の渡しから土手を上がり、旧宿内へ入っていく旧東海道の道筋は、いまも通りとして残っています。その途中から川崎大師へ向かう大師道が分かれていたことも、まちの骨格として受け継がれています。
寺社 稲毛神社、宗三寺、一行寺、真福寺。市が川崎宿の史跡として紹介する寺社が、街道の近くにいまも点在しています。
地名と「跡」 田中本陣跡、京口土居跡、問屋場跡、小土呂橋跡。建物はなくても、場所の記憶は名前として残されています。
景観づくり 市は旧東海道沿いで電線類の地中化を進め、歴史を伝えるガイドパネルや御影石を使った景観づくりを行っています。東海道かわさき宿交流館では、川崎の歴史や宿場について学ぶこともできます。
参考:川崎市 東海道川崎宿一覧(史跡の紹介)/国土交通省 横浜国道事務所 東海道を歩く/神奈川県観光協会 東海道かわさき宿交流館
もう一本の街道、大山街道
川崎の宿場町の記憶は、東海道だけではありません。市の北部には、もう一本の街道が通っていました。大山街道です。
大山街道は、もとは矢倉沢往還と呼ばれた道の一部で、江戸の赤坂から多摩丘陵を抜け、大山へと向かいます。川崎市内では、二子から溝口にかけてがその道筋です。二子・溝口には、通りの両側に約300軒が並ぶ宿場がありました。この街道は、地域の産物を江戸へ運ぶ商業の道として、幕末まで栄えました。江戸の中ごろには大山詣りが盛んになり、ひと夏に約20万人が訪れたこともあったといわれます。しかし明治に鉄道が開通すると、街道は次第に寂れていきました。
東海道の川崎宿と大きく違うのは、ここにはいまも建物が残っていることです。江戸時代に創業した灰吹屋薬局には明治の土蔵が、同じく江戸時代創業の呉服店タナカヤには明治44年(1911年)の建物が、いまも街道沿いに建っています。溝口神社や、沿道の文学碑、大山街道ふるさと館もあり、歩けば宿場の面影に触れることができます。
ただ、平成4年(1992年)の調査では、前年に調べた30軒のうち半数近くがすでに取り壊されていたと記録されています。残っている記憶も、いまこの瞬間に失われつつあるのです。
建築士として、宿場町を読む
序3で、道はまちの中で最も長く残る骨格だと書きました。川崎宿は、そのことをはっきりと示しています。東海道の川崎宿では、本陣も旅籠も、鉄道と工業化と戦災を経て失われました。けれど、400年前に引かれた街道の道筋は、いまもまちの中を通っています。建物は数十年で建て替わっても、道は何百年と残るのです。
では、この通りに新しい建物を建てるとき、設計者は宿場の記憶とどう向き合えばよいのでしょうか。
私は、宿場風の意匠を外壁に貼りつけることではないと考えています。それは記憶をなぞっているだけで、読んではいません。読むべきは、かたちの奥にある関係です。街道に向かって店先を開くこと。歩く人の目線で通りとつながること。細長く連なる通りのリズムを受け継ぐこと。宿場町の記憶は、そうした道と建物との関係の中にこそ残っています。
■ まとめ
宿場町の記憶は、どこに残っているのか。
東海道の川崎宿では、建物はほとんど残っていません。残っているのは、道筋であり、寺社であり、「跡」として受け継がれた地名です。北の大山街道では、わずかに残る建物が、いまも宿場の記憶を伝えています。そして何より、宿場町の記憶は、道と建物との関係の中に残っています。川崎のまちの最も古い層は、目に見える建物ではなく、まちの骨格として、いまも私たちの足元にあるのです。
次回は、宿場町の上に重なった次の層、工業のまちとしての川崎を読んでいきます。
次回は、宿場町の上に重なった次の層、工業のまちとしての川崎を読んでいきます。
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