こんにちは。アトリエアイズ代表・管理建築士の今井博康です。
前回は、川崎のまちの最も古い層、宿場町の記憶を読みました。建物は失われても、街道の道筋はいまもまちの骨格として残っています。
今回は、その上に重なった次の層を読みます。工業のまちとしての川崎です。
最初に、一つの事実から始めたいと思います。いま工場や物流拠点が並ぶ川崎の臨海部。その土地の多くは、もともと海でした。工業のまちは、海を埋め立て、土地を沖へと広げながらつくられてきたのです。
海を埋め立てて、まちが広がった
明治の末、川崎は企業に広い土地を安く提供し、工場を呼び込みました。明治38年(1905年)ごろから、製糖会社や電機会社の工場が操業を始めます。明治45年(1912年)には、のちのJFEスチールにつながる日本鋼管が川崎で創業しました。
そして大正の初め、実業家の浅野総一郎が鶴見・川崎の沿岸の埋め立てに乗り出します。欧米の港を見て、港と一体になった臨海工業地帯を日本にもつくろうと考えたといわれています。埋め立て地には次々と工場が進出し、京浜工業地帯が形づくられていきました。
埋め立ては、その後も沖へと広がっていきます。昭和50年(1975年)には、さらに沖合の扇島に製鉄の設備が整えられました。
川崎の臨海部は、海の上に、時代ごとに土地を重ねてきた場所なのです。
参考:川崎市 臨海部の歴史(浅野総一郎と埋立)/神奈川新聞(カナロコ)JFEスチール高炉跡地
働く人の暮らしが、まちをつくった
工場が増えれば、そこで働く人が集まります。人が集まれば、住まいが建ち、商店が並び、まちが育っていきます。
大正13年(1924年)、川崎町・御幸村・大師町が合併して川崎市が誕生したとき、人口は約4万8千人でした。その後、周辺の町村の編入もあって、昭和32年(1957年)に50万人、昭和48年(1973年)には100万人を超えます。半世紀のあいだに、20倍を超える人がこのまちで暮らすようになったのです。
大正から昭和にかけて、川崎駅の周辺には映画館が立ち並び、多くの人でにぎわいました。工場で働く人の暮らしが、商店街をつくり、盛り場をつくり、まちの表情をつくっていきました。
工業のまちの記憶は、工場の中だけにあるのではありません。働く人の暮らしの中にもあるのです。
参考:川崎市 市のあゆみ(年表)/川崎市 環境デジタルアーカイブ 川崎のまちの移り変わり
苦い過去――公害の時代
工業のまちの記憶を語るとき、避けて通れないことがあります。公害です。
戦後の復興から高度経済成長へと工業が拡大するなかで、川崎では大気汚染が深刻になっていきました。工場の煙や排水の影響で街路樹が枯れ、梨畑は減り、埋め立ての進行とともに海苔の養殖も消えていきました。
そして何より、多くの人がぜん息などの健康被害に苦しみました。昭和57年(1982年)には、公害病の患者とその遺族が、国や道路公団、企業を相手に川崎公害訴訟を起こします。企業との和解は平成8年(1996年)、国などとの和解は平成11年(1999年)のことでした。
まちを豊かにした工業は、同時に、まちと人に重い影を落としました。これもまた、川崎という土地に刻まれた記憶です。
参考:川崎市 環境デジタルアーカイブ 川崎のまちの移り変わり/川崎市 環境の歴史展示資料(川崎公害訴訟)
公害と向き合い、次の100年へ
川崎は、この過去と向き合ってきたまちでもあります。
昭和47年(1972年)には川崎市公害防止条例を制定し、全国に先がけて環境影響評価の条例もつくりました。市民の運動、行政の対策、企業の努力が重なり、やがて二酸化硫黄は市内すべての測定地点で環境基準を満たすまでになります。訴訟の和解後も患者や家族、支援者の運動は続き、すべてのぜん息患者が医療費の助成を受けられるようになりました。
ここで大切なのは、川崎が工業を手放すことで環境を取り戻したのではない、ということです。臨海部の工場は操業を続けながら、規制と技術と対話を重ね、まちは空気を取り戻していきました。四日市や北九州などと並び、川崎は「工業を続けながら公害を克服した」まちの一つです。
そしていま、川崎は脱炭素のまちづくりを掲げ、2050年の二酸化炭素排出実質ゼロを目指しています。
工業のまちを見るまなざしも、変わってきました。かつては公害と結びつけて見られることもあった工場の煙突や配管が、いまは夜の灯りとともに「工場夜景」として多くの人を惹きつけています。平成23年(2011年)2月23日に川崎市で工場夜景サミットが開かれたことから、この日は「工場夜景の日」とされています。
工場の跡地の使い方も変わりつつあります。多摩川をはさんで羽田空港の対岸にある殿町地区は、平成16年(2004年)に自動車工場が移転した跡地です。いまは「キングスカイフロント」と呼ばれ、健康・医療・環境などのライフサイエンス分野の研究開発拠点として、研究機関や企業が集まっています。
この場所の価値を決めているのは、羽田との近さです。キングスカイフロントは「HANEDAゲートウェイ」を掲げ、対岸の羽田イノベーションシティとともに、多摩川の両岸に国際的な戦略拠点を形づくっています。平成25年(2013年)には大田区と川崎市が産業連携の協定を結び、令和4年(2022年)3月には、両岸を結ぶ多摩川スカイブリッジ(橋の長さ約675メートル)が開通しました。
かつては渡し船で行き来した多摩川に橋が架かり、川崎と羽田、そしてその先の世界が直接つながろうとしています。ものをつくる工場の土地が、知をつくる場所へと生まれ変わったのです。
序1で触れた扇島の高炉跡地では、水素などのエネルギー拠点づくりが始まろうとしています。かつて海を埋め立てて工業のまちを広げた土地が、いま次の100年の産業へと入れ替わろうとしているのです。
参考:川崎市 環境デジタルアーカイブ 年表/川崎市 市のあゆみ(年表)
参考:トラベルボイス 工場夜景観光/UR都市機構 殿町地区(キングスカイフロント)
参考:川崎市 多摩川スカイブリッジ開通(報道発表)/キングスカイフロント×羽田イノベーションシティ 連携イベント資料/北九州市 公害克服の歩み
建築士として、工業のまちを読む
序3で、街並みは道・地形・隣の建物・暮らしとの関係から始まると書きました。工業のまちを読むとき、とくに大切になるのは「地形」と「暮らし」です。
臨海部の地形は、自然がつくったものではありません。人が海を埋め立ててつくった、いわば人工の地形です。広い敷地、まっすぐな道路、運河。その土地のかたちには、工業のまちとして生まれた理由が刻まれています。そして工場が去るとき、その広い敷地は一度に大きく姿を変えます。武蔵小杉で工場の跡地がわずかな年月で高層住宅のまちへと変わったように、工業のまちの記憶は、跡地の更新とともに一気に消えてしまうこともあるのです。
だからこそ、設計者は問わなければなりません。この土地は、なぜこのかたちなのか。ここで、どんな人が働き、暮らしてきたのか。工業のまちの記憶には、誇りも、苦い過去も含まれています。どちらかだけを残すのではなく、その両方を受け止めたうえで、次の建物を考える。それが、この層を読むということだと考えています。
■ まとめ
川崎の工業のまちは、海へ広がることでつくられてきました。埋め立ての土地の上に工場が建ち、働く人が集まり、暮らしがまちを育てました。その一方で、公害という重い影も落としました。誇りと苦い過去、人々の営みが、この層には重なっています。
そしていま、その土地はふたたび次の時代へと入れ替わろうとしています。工業のまちの記憶をどう受け継ぐのか。それは、これからの川崎のまちづくりそのものへの問いでもあります。
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COMMUNICATION BUILDING
人と地域を紡ぐ建築設計
アトリエアイズWEB:a-iz.co.jp
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『リピート率100%・かながわオンリーワンの設計事務所』
一級建築士事務所(有)アトリエアイズは、神奈川県でオンリーワンの建築士事務所
川崎市・横浜市・鎌倉市に拠点があり、多彩な実績と専門性で、日々の暮らしとまちづくりを支えています。
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古:文化財古民家再生継承~今:ヒアリング×クリエイティブ~未来:持続可能・環境配慮設計に取組んでいます
❶ 多彩な実績:2坪の店舗から13,000㎡を超える大型複合施設設計
❷ 多才な専門性:商業・店舗・福祉・住宅系・公共施設・文化財古民家再生等からCI・店舗ロゴまで
❸ 多細な風土アプローチ:日本各地(20都府県以上)、風土地域を読み解く創作
❹ 多采な貢献:持続可能性建築、地域域貢献イベント主催等、多様なSDGs・CSRの取組み
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