2011/09/25

被災地支援は「軸」がどこにあるかで・・・

先週はなぜだが「被災地支援活動」について、話を伺ったり、話し合ったりする機会が多かった。
とても感銘を受ける話もあれば、微妙な違和感を感じざるを得ない話し合いもあった。

自分が被災地に行き見聞きしてきた以降、強く感じているのは、報道や、人からの話など、殆ど「きれい」な事しか聞けない現実。
それこそ「人の話」は、本音を話し合える相手からでないと「被災地で起きている本当のトコロ」は分からない。

自分は「被災者やその関係者に、寄り添う姿勢・慮る気持ち」を最優先にしたい。
そして、それに伴う、「行動の出る引く」がとても重要だと思っている。
出る時は出る、引く時は引く。

被災地復興の話をしていて、往々に違和感を感じるのは、その立ち居地が「自分がしてあげたいこと・やりたいこと」が先に出ているケース。
以前に出合った、某ボラセンも、さも被災者の要望のような話をしていても、実はボランティアの勝手な言動だったというケースもあった。
勿論、「やりたいこと」と「出来ること」がイコールであるに越したことはないが、「してあげたいこと」が被災地で行動に移せてない時点で「独りよがり」なのではないだろうか?

被災地での体験話など一人もしない(どうやら殆どがこれまで被災地に行った事がない)人々が集まって、自分達の職能を生かしたいと、机上での空論を展開したり。
職能を使いたいけど、押し売りはしたくないし、、、それ以外はたいしてやる気もない、、、、こうなると、被災地に「役に立つ行動」ではなくなっているようにか見えないのだけれど・・・・
これでは、自分とはスタンスが合わない。

気持ちは、分かる。自分も地震と向き合う仕事・建築士だ。出来れば建築士とて役に立ちたい。
だが、被災地のために役に立つ「実行」という軸をとると、やりたいことより「出来る事をする」事が当然、先になる。

自分が出来る事を、観察し、考え、行動し、継続する。

自分がしていることは本当に微々たる物だ。
ただ微々たることでも「出来る事の実行、継続」。

被災地に向けた活動に関して、自分は、自身の感性・考え方を貫こうと思っている。



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