友達百人。
だれとでも仲良く、仲間は多いほうがいい。
おそらく、子供のころ私はそう教わっていたと思っています。
しかし・・・今現在の私は、だれとでも仲良くは出来ていないし、
むしろ仲間は少数精鋭でチームを組めることを目指しています。
むしろ仲間は少数精鋭でチームを組めることを目指しています。
シェア・共有、SNSの現在、より強調化してきたように見えますが、
ただ今までより顕在化しただけ、であるようにも感じます。
ただ今までより顕在化しただけ、であるようにも感じます。
初対面では、やはり共通の話題を見つけらたほうが、
相互の距離感は早く縮まります。
相互の距離感は早く縮まります。
私も初めてお話しすときは、まずは共通項を探します。
しかし、面白さが倍増するのは、共通項の先にある、相互の違い。
情報であったり、経験、価値観であったり・・・・
私と違うということは、私の知らなかった世界観、不足している経験を、その方が持っているということ。
情報であったり、経験、価値観であったり・・・・
私と違うということは、私の知らなかった世界観、不足している経験を、その方が持っているということ。
と言うか、人間が違えば、その経験は当然違います。
その違いをリスペクトし、相互に刺激をしあえる関係・チームは、活気があります。
「長いものに巻かれろ」的な世の中もあるようですが、
そもそも「それが長い」かどうかも微妙では・・・・・・
「違いを認識する」それが意匠設計の仕事スタートだと考えてもいます。
クライアントと私はイコールではありません。
私の拘りのみでカタチを創るのであれば、本来、私自身がクライアントであるべきで、
クライアントが使い続ける空間であれば、クライアント自身の思い入れをもっていて頂きたい。
それには、クライアントの思い・嗜好・思想が原点であるべきだと考えています。
それを設計者が受け取り・読み取り、設計者のフィルターを通しアウトプットする。
ただし、クライアントの予想の超える提案で・・・・。
他にも、設計要件には、立地的要件、まちなみ、気候風土等、様々あります。
クライアントの思い、私のフィルター、各種要件が「化学反応」を起こしたときに、おもしろい空間が生まれると考えています。
共有友達は百人いる必要はありません。
違いを認識・リスペクトしあえる人間関係であることの方が重要です。
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