建築設計は慣例として「先生」と呼ばれる。
しかし「何かを教える仕事」とは思っていない。
まだ教育が行き届いていない時代は「教える仕事」でもあったもしれないが・・・
あえて考えれば「法を行使する先生」ではあるかもしれない。
私の仕事は建築設計で「共感・共有」を空間に置き換え
「うれしい・楽しい・心地よい」を提供する仕事だと思っている。
「教える」からは、まず共感は生まれない。
基本一方通行の情報提供と、情報の交通整理が「教える」と考えている。
双方向の情報提供は、情報交換であり「教える側の立位置」では
情報のやり取りは成立しない。
確かにプロとして経験・情報は持っている。
しかし、それは「教える」ものではなく「業務で使うもの」である。
人間が違えは、持っている経験・情報が違うのは当たり前。
クライアントや、職人との「情報交換」で創り出されるプロセスは、
この仕事の一番面白いところ。
だから「教える先生」にはなりたくない。
建築設計は「建築関連法規の取り扱い」がやはり基盤となるので、
「法を行使する人」が「先生」であれば、それは先生なのだろう。
自分には、この道に入るきっかっけをつくってくれた「恩師」がいるので、
建築設計が「先生」と呼ばれることに、違和感が強いんだろうと思う。
建築士で、大学などで建築の教鞭をとっておられる方もいますが、
その「先生」とは違います。念のため・・・
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