仕事は大好きです。
一級建築事務所業務を生業にしています。
建物の設計・現場の法的な監理が、建築士の業務です。
我々同業のビックネームは、安藤忠雄氏や隈研吾氏です。その他、同業他社は星の数ほどいます。
先輩・同輩・後輩、同業仲間とコミュニケーションをとりますが、世代問わずみんなよく建築を知っています。
その情報量・記憶メモリー容量の大きさは、流石それなりに難関と言われる国家資格取得者です。そしてそのメモリー能力を遺憾なく発揮する、建築愛を持って仕事に取り組んでいます。
私は恥ずかしながら、その脳内情報量は同輩に敵わないと思うことがあります。
建築好きという側面では敵わないです。
ただ、仕事好きとなると、そう簡単には負けません。
むしろまわりが引くほどのワーカホリックではないかと・・・。
体力さえもてば、気持ちは問題ないです。休みは、なくてもいいです。典型的なワーカホリックだと思います。
あえて生意気を言いますと、彼らより労働時間は長いです。それを嫌とも思っていません。
私の脳内情報量は限られるので、単なる情報であればネットなど頭の外に置いてあればよいとして、むしろ要は検索スキルとその時間の確保。
脳内は記憶よりも、洞察・思考・創造=ワークにメモリーを使うべきとも感じてます。
記憶容量より、処理能力。HDDよりRAM,SSDが強み、と言ったところでしょうか。
なので、私の建築へのベクトルが、業界スタンダードでないように感じています。
建築ありきなのが、プロセスの先に建築があるのか。私は後者のつもりです。
設計の仕事自体プロセスを積み重ねないと出来ませんので、全てが後者に見えますが・・・
例えば、商業施設を提案するとき、マーケティング的な分析のうえで、事業計画を提案し、その為のカタチをつくります。
実はこれらは独立してから私なりに積み重ねたプロセスです。
独立前は、敷地があり、面白い平面計画を提案して、事業計画書を添付しました。
つまり、プロセスが逆なのです。
ベクトルが建築に向いているのではなくて、向いたベクトルの先に建築がある。そんな感覚です。
ですので、場合よっては目玉の空間、例えば大きな吹抜ホール空間のような、建築的な見せ場が無い提案もすることがあります。
必要が無いからです。
ホールのような大きな単位空間で、建築的な見せ場が無いような建物は、建築好きには駄作です。実際、私の計画案をみ見た方に言われたことがあります「建築として絵にならない」。大きな空間空間単位ありき=見せ場のある魅力的な建築、という捉え方をすると、建築として面白くないと・・・・
しかし、見せ場がなくても、居心地の良い建築をデザインすることはできます。
居心地の良い空間は、魅力的ではありませんか?
居心地のために大きな単位空間がなければ、その建築に魅力はないのでしょうか?
そうなると、大きな見せ場は「必要」なのでしょうか?
そうなると、大きな見せ場は「必要」なのでしょうか?
居心地を優先なのか、建築の見せ場が優先なのか。
向いているベクトルが根本的に違うと思うのは、そんな理由です。
なので、ワーカホリック=建築好きとはちょっと違うのかなと・・・
aiz web : www.a-iz.co.jp
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