2026/10/16

川崎まちづくり考~第2回  海へ広がる、工業のまちの記憶

 

こんにちは。アトリエアイズ代表・管理建築士の今井博康です。

前回は、川崎のまちの最も古い層、宿場町の記憶を読みました。建物は失われても、街道の道筋はいまもまちの骨格として残っています。

今回は、その上に重なった次の層を読みます。工業のまちとしての川崎です。

最初に、一つの事実から始めたいと思います。いま工場や物流拠点が並ぶ川崎の臨海部。その土地の多くは、もともと海でした。工業のまちは、海を埋め立て、土地を沖へと広げながらつくられてきたのです。


海を埋め立てて、まちが広がった

明治の末、川崎は企業に広い土地を安く提供し、工場を呼び込みました。明治38年(1905年)ごろから、製糖会社や電機会社の工場が操業を始めます。明治45年(1912年)には、のちのJFEスチールにつながる日本鋼管が川崎で創業しました。

そして大正の初め、実業家の浅野総一郎が鶴見・川崎の沿岸の埋め立てに乗り出します。欧米の港を見て、港と一体になった臨海工業地帯を日本にもつくろうと考えたといわれています。埋め立て地には次々と工場が進出し、京浜工業地帯が形づくられていきました。

埋め立ては、その後も沖へと広がっていきます。昭和50年(1975年)には、さらに沖合の扇島に製鉄の設備が整えられました。

川崎の臨海部は、海の上に、時代ごとに土地を重ねてきた場所なのです。

参考:川崎市 臨海部の歴史(浅野総一郎と埋立)/神奈川新聞(カナロコ)JFEスチール高炉跡地


働く人の暮らしが、まちをつくった

工場が増えれば、そこで働く人が集まります。人が集まれば、住まいが建ち、商店が並び、まちが育っていきます。

大正13年(1924年)、川崎町・御幸村・大師町が合併して川崎市が誕生したとき、人口は約4万8千人でした。その後、周辺の町村の編入もあって、昭和32年(1957年)に50万人、昭和48年(1973年)には100万人を超えます。半世紀のあいだに、20倍を超える人がこのまちで暮らすようになったのです。

大正から昭和にかけて、川崎駅の周辺には映画館が立ち並び、多くの人でにぎわいました。工場で働く人の暮らしが、商店街をつくり、盛り場をつくり、まちの表情をつくっていきました。

工業のまちの記憶は、工場の中だけにあるのではありません。働く人の暮らしの中にもあるのです。

参考:川崎市 市のあゆみ(年表)/川崎市 環境デジタルアーカイブ 川崎のまちの移り変わり


苦い過去――公害の時代

工業のまちの記憶を語るとき、避けて通れないことがあります。公害です。

戦後の復興から高度経済成長へと工業が拡大するなかで、川崎では大気汚染が深刻になっていきました。工場の煙や排水の影響で街路樹が枯れ、梨畑は減り、埋め立ての進行とともに海苔の養殖も消えていきました。

そして何より、多くの人がぜん息などの健康被害に苦しみました。昭和57年(1982年)には、公害病の患者とその遺族が、国や道路公団、企業を相手に川崎公害訴訟を起こします。企業との和解は平成8年(1996年)、国などとの和解は平成11年(1999年)のことでした。

まちを豊かにした工業は、同時に、まちと人に重い影を落としました。これもまた、川崎という土地に刻まれた記憶です。

参考:川崎市 環境デジタルアーカイブ 川崎のまちの移り変わり/川崎市 環境の歴史展示資料(川崎公害訴訟)


公害と向き合い、次の100年へ

川崎は、この過去と向き合ってきたまちでもあります。

昭和47年(1972年)には川崎市公害防止条例を制定し、全国に先がけて環境影響評価の条例もつくりました。市民の運動、行政の対策、企業の努力が重なり、やがて二酸化硫黄は市内すべての測定地点で環境基準を満たすまでになります。訴訟の和解後も患者や家族、支援者の運動は続き、すべてのぜん息患者が医療費の助成を受けられるようになりました。

ここで大切なのは、川崎が工業を手放すことで環境を取り戻したのではない、ということです。臨海部の工場は操業を続けながら、規制と技術と対話を重ね、まちは空気を取り戻していきました。四日市や北九州などと並び、川崎は「工業を続けながら公害を克服した」まちの一つです。

そしていま、川崎は脱炭素のまちづくりを掲げ、2050年の二酸化炭素排出実質ゼロを目指しています。

工業のまちを見るまなざしも、変わってきました。かつては公害と結びつけて見られることもあった工場の煙突や配管が、いまは夜の灯りとともに「工場夜景」として多くの人を惹きつけています。平成23年(2011年)2月23日に川崎市で工場夜景サミットが開かれたことから、この日は「工場夜景の日」とされています。

工場の跡地の使い方も変わりつつあります。多摩川をはさんで羽田空港の対岸にある殿町地区は、平成16年(2004年)に自動車工場が移転した跡地です。いまは「キングスカイフロント」と呼ばれ、健康・医療・環境などのライフサイエンス分野の研究開発拠点として、研究機関や企業が集まっています。

この場所の価値を決めているのは、羽田との近さです。キングスカイフロントは「HANEDAゲートウェイ」を掲げ、対岸の羽田イノベーションシティとともに、多摩川の両岸に国際的な戦略拠点を形づくっています。平成25年(2013年)には大田区と川崎市が産業連携の協定を結び、令和4年(2022年)3月には、両岸を結ぶ多摩川スカイブリッジ(橋の長さ約675メートル)が開通しました。

かつては渡し船で行き来した多摩川に橋が架かり、川崎と羽田、そしてその先の世界が直接つながろうとしています。ものをつくる工場の土地が、知をつくる場所へと生まれ変わったのです。

序1で触れた扇島の高炉跡地では、水素などのエネルギー拠点づくりが始まろうとしています。かつて海を埋め立てて工業のまちを広げた土地が、いま次の100年の産業へと入れ替わろうとしているのです。

参考:川崎市 環境デジタルアーカイブ 年表/川崎市 市のあゆみ(年表)
参考:トラベルボイス 工場夜景観光/UR都市機構 殿町地区(キングスカイフロント)
参考:川崎市 多摩川スカイブリッジ開通(報道発表)/キングスカイフロント×羽田イノベーションシティ 連携イベント資料/北九州市 公害克服の歩み


建築士として、工業のまちを読む

序3で、街並みは道・地形・隣の建物・暮らしとの関係から始まると書きました。工業のまちを読むとき、とくに大切になるのは「地形」と「暮らし」です。

臨海部の地形は、自然がつくったものではありません。人が海を埋め立ててつくった、いわば人工の地形です。広い敷地、まっすぐな道路、運河。その土地のかたちには、工業のまちとして生まれた理由が刻まれています。そして工場が去るとき、その広い敷地は一度に大きく姿を変えます。武蔵小杉で工場の跡地がわずかな年月で高層住宅のまちへと変わったように、工業のまちの記憶は、跡地の更新とともに一気に消えてしまうこともあるのです。

だからこそ、設計者は問わなければなりません。この土地は、なぜこのかたちなのか。ここで、どんな人が働き、暮らしてきたのか。工業のまちの記憶には、誇りも、苦い過去も含まれています。どちらかだけを残すのではなく、その両方を受け止めたうえで、次の建物を考える。それが、この層を読むということだと考えています。

■ まとめ

川崎の工業のまちは、海へ広がることでつくられてきました。埋め立ての土地の上に工場が建ち、働く人が集まり、暮らしがまちを育てました。その一方で、公害という重い影も落としました。誇りと苦い過去、人々の営みが、この層には重なっています。

そしていま、その土地はふたたび次の時代へと入れ替わろうとしています。工業のまちの記憶をどう受け継ぐのか。それは、これからの川崎のまちづくりそのものへの問いでもあります。


────

COMMUNICATION BUILDING
人と地域を紡ぐ建築設計
アトリエアイズWEB:a-iz.co.jp

────

『リピート率100%・かながわオンリーワンの設計事務所』
一級建築士事務所(有)アトリエアイズは、神奈川県でオンリーワンの建築士事務所
川崎市・横浜市・鎌倉市に拠点があり、多彩な実績と専門性で、日々の暮らしとまちづくりを支えています。

地域密着でありながら、広域展開の実績も豊富な実績があり
古:文化財古民家再生継承~今:ヒアリング×クリエイティブ~未来:持続可能・環境配慮設計に取組んでいます

❶ 多彩な実績:2坪の店舗から13,000㎡を超える大型複合施設設計
❷ 多才な専門性:商業・店舗・福祉・住宅系・公共施設・文化財古民家再生等からCI・店舗ロゴまで
❸ 多細な風土アプローチ:日本各地(20都府県以上)、風土地域を読み解く創作
❹ 多采な貢献:持続可能性建築、地域域貢献イベント主催等、多様なSDGs・CSRの取組み
❺ 多咲なスキル・メソッド:カラーセラピー・木育・福祉コーディネート・文化財ドクター

2坪のインテリアデザインから13,000㎡を超える大型プロジェクト

ジャンル用途は、テナントビル・物販・飲食・美容・ジム・アミューズメント・オフィス・保育園・老人ホーム・学校・公共施設・住宅・文化財古民家再生ほか多数

鉄筋コンクリート造・鉄骨造・在来木造・耐火木造、幅広い構造の選択肢
青森・秋田・岩手・山形・宮城・新潟・茨木・埼玉・東京・千葉・神奈川・長野・富山・石川・大阪・兵庫・岡山
様々な規模・多くの用途・実績エリアの広さ等、他の設計事務所にはない、多様な実績があります

持続可能・環境配慮設計にもいち早く、川崎SDGsゴールドパートナーは建築設計事務所では初期の登録
「木育」をテーマとした地域貢献イベント主催、他事務所にはないSDGs・CSR活動も積極的に取組んでいます

加えて、スタッフ全員カラーセラピスト
そしてそれぞれ、木育インストラクター・福祉住環境コーディネーター・ヘリテージマネージャー・神奈川県文化財ドクター等の資格を保有

クライアント・地域・利用者・居住者に寄り添うスキルとメソッドがあります

時を つなげる×いろどる 建築

古に学び × 今の想いを込めて × 未来を彩る
徹底したコンプライアンスによる
安心のコミュニケーション建築をデザイン
笑顔の日々を創造します 

クライアント・リピート率100%の一級建築士事務所(有)アトリエアイズ
携わったプロジェクトは250件を超えました(23.9現在)


#アトリエアイズ
#japanesearchitecture #japanesearchitect #japaneseinteriordesign #japaneseinteriordesigner #architecture
#architectdesign #interiordesign #interiordecoration #interiordesigner #shopdesign #showroomdesign
#atelieriz #建築設計 #建築デザイン #建築デザイナー #インテリアデザイン #店舗デザイン #木育インストラクター
#保育園設計 #老人ホーム設計 #福祉施設設計 #住宅設計 #古民家再生 #建築家との家づくり #デザイン住宅 
#川崎市 #川崎市設計 #川崎市建築設計 #神奈川県 #神奈川県設計 #神奈川県建築設計 #横浜市 #横浜市設計 #横浜市建築設計

神奈川県・川崎市其々でSDGsパートナーとして認定されています

2026/10/09

川崎まちづくり考~第1回 最古層、宿場町の記憶

こんにちは。アトリエアイズ代表・管理建築士の今井博康です。

序章の三回では、川崎のまちの現在地を見たうえで、一つの建物がまちを変えること、そして街並みが道・地形・隣の建物・暮らしとの関係から始まることを考えてきました。

今回からは、その視点で川崎のまちそのものを読んでいきます。

最初に向き合うのは、このまちの最も古い層です。川崎は、東海道の宿場町として始まりました。

今回の問いは、これです。宿場町の記憶は、どこに残っているのか?


歌川広重『東海道五十三次』より「川崎宿」

東海道の宿場として始まった川崎

川崎宿が開かれたのは、元和9年(1623年)のことです。東海道の品川宿と神奈川宿の間に、後から加えられた宿場でした。両隣の宿場は、人馬を継ぎ立てる負担が重く、その軽減のために中間に新しい宿が置かれました。川崎は、街道を支える役目を担って生まれたまちだったのです。宿の北には六郷川、いまの多摩川が流れていました。宝永元年(1706年)に本陣を継いだ田中休愚は、この川の渡船を川崎宿で請け負えるよう幕府に働きかけ、その収益で宿の財政を立て直したとされています。川と街道が、宿場の暮らしを支えていました。

参考:川崎市 東海道川崎宿/国土交通省 横浜国道事務所 東海道Q&A


街道に沿って、細長く延びたまち

川崎宿は、新宿・砂子の2町から始まり、のちに久根崎・小土呂を加えた4つの町で構成されました。宿の範囲は、江戸側の入口である江戸口土居(いまの六郷橋のあたり)から、京側の京口土居(いまの小川町のあたり)まで、約1.5キロメートル。まちは、街道に沿って細長く延びていました。街道沿いには本陣が置かれ、天保期の記録では72軒の旅籠が並んでいたとされます。なかでも旅籠「万年屋」は、文久3年の記録で宿内最大の規模を誇り、名物の奈良茶飯でも知られていました。まちの中心にあったのは、一本の道でした。人も物も情報も、この道を通って行き交っていたのです。

参考:川崎市 東海道川崎宿


宿場町の姿は、なぜ見えなくなったのか

明治に入ると、川崎のまちは大きく変わり始めます。
明治5年(1872年)、新橋と横浜の間に日本初の鉄道が開通し、川崎駅が開業しました。明治32年(1899年)には、川崎と川崎大師を結ぶ電気鉄道、いまの京急大師線が営業を始めます。人の流れの中心は、街道から鉄道へと移っていきました。やがて臨海部には工場が立ち並び、大正13年(1924年)には川崎市が誕生します。宿場町は、工業都市へと姿を変えていきました。

そして昭和20年(1945年)4月15日の川崎大空襲。市の中心部は、市役所などを残して焼け野原となりました。街道沿いに並んでいた本陣や旅籠は、いまは「田中本陣跡」「佐藤本陣跡」のように、「跡」として名をとどめるだけになりました。宿場の家並みは、現代的なビル群に変わっています。

参考:川崎市 環境デジタルアーカイブ 川崎のまちの移り変わり/川崎市 川崎大空襲に関する報道発表資料


それでも、残っているもの

建物は失われました。けれど、宿場町の記憶がすべて消えたわけではありません。

道筋 六郷の渡しから土手を上がり、旧宿内へ入っていく旧東海道の道筋は、いまも通りとして残っています。その途中から川崎大師へ向かう大師道が分かれていたことも、まちの骨格として受け継がれています。

寺社 稲毛神社、宗三寺、一行寺、真福寺。市が川崎宿の史跡として紹介する寺社が、街道の近くにいまも点在しています。

地名と「跡」 田中本陣跡、京口土居跡、問屋場跡、小土呂橋跡。建物はなくても、場所の記憶は名前として残されています。

景観づくり 市は旧東海道沿いで電線類の地中化を進め、歴史を伝えるガイドパネルや御影石を使った景観づくりを行っています。東海道かわさき宿交流館では、川崎の歴史や宿場について学ぶこともできます。

参考:川崎市 東海道川崎宿一覧(史跡の紹介)/国土交通省 横浜国道事務所 東海道を歩く/神奈川県観光協会 東海道かわさき宿交流館


もう一本の街道、大山街道

川崎の宿場町の記憶は、東海道だけではありません。市の北部には、もう一本の街道が通っていました。大山街道です。

大山街道は、もとは矢倉沢往還と呼ばれた道の一部で、江戸の赤坂から多摩丘陵を抜け、大山へと向かいます。川崎市内では、二子から溝口にかけてがその道筋です。二子・溝口には、通りの両側に約300軒が並ぶ宿場がありました。この街道は、地域の産物を江戸へ運ぶ商業の道として、幕末まで栄えました。江戸の中ごろには大山詣りが盛んになり、ひと夏に約20万人が訪れたこともあったといわれます。しかし明治に鉄道が開通すると、街道は次第に寂れていきました。

東海道の川崎宿と大きく違うのは、ここにはいまも建物が残っていることです。江戸時代に創業した灰吹屋薬局には明治の土蔵が、同じく江戸時代創業の呉服店タナカヤには明治44年(1911年)の建物が、いまも街道沿いに建っています。溝口神社や、沿道の文学碑、大山街道ふるさと館もあり、歩けば宿場の面影に触れることができます。

ただ、平成4年(1992年)の調査では、前年に調べた30軒のうち半数近くがすでに取り壊されていたと記録されています。残っている記憶も、いまこの瞬間に失われつつあるのです。

参考:川崎市立図書館 大山街道パスファインダー


建築士として、宿場町を読む

序3で、道はまちの中で最も長く残る骨格だと書きました。川崎宿は、そのことをはっきりと示しています。東海道の川崎宿では、本陣も旅籠も、鉄道と工業化と戦災を経て失われました。けれど、400年前に引かれた街道の道筋は、いまもまちの中を通っています。建物は数十年で建て替わっても、道は何百年と残るのです。

では、この通りに新しい建物を建てるとき、設計者は宿場の記憶とどう向き合えばよいのでしょうか。

私は、宿場風の意匠を外壁に貼りつけることではないと考えています。それは記憶をなぞっているだけで、読んではいません。読むべきは、かたちの奥にある関係です。街道に向かって店先を開くこと。歩く人の目線で通りとつながること。細長く連なる通りのリズムを受け継ぐこと。宿場町の記憶は、そうした道と建物との関係の中にこそ残っています。

■ まとめ

宿場町の記憶は、どこに残っているのか。

東海道の川崎宿では、建物はほとんど残っていません。残っているのは、道筋であり、寺社であり、「跡」として受け継がれた地名です。北の大山街道では、わずかに残る建物が、いまも宿場の記憶を伝えています。そして何より、宿場町の記憶は、道と建物との関係の中に残っています。川崎のまちの最も古い層は、目に見える建物ではなく、まちの骨格として、いまも私たちの足元にあるのです。

次回は、宿場町の上に重なった次の層、工業のまちとしての川崎を読んでいきます。



次回は、宿場町の上に重なった次の層、工業のまちとしての川崎を読んでいきます。


────

COMMUNICATION BUILDING
人と地域を紡ぐ建築設計
アトリエアイズWEB:a-iz.co.jp

────

『リピート率100%・かながわオンリーワンの設計事務所』
一級建築士事務所(有)アトリエアイズは、神奈川県でオンリーワンの建築士事務所
川崎市・横浜市・鎌倉市に拠点があり、多彩な実績と専門性で、日々の暮らしとまちづくりを支えています。

地域密着でありながら、広域展開の実績も豊富な実績があり
古:文化財古民家再生継承~今:ヒアリング×クリエイティブ~未来:持続可能・環境配慮設計に取組んでいます

❶ 多彩な実績:2坪の店舗から13,000㎡を超える大型複合施設設計
❷ 多才な専門性:商業・店舗・福祉・住宅系・公共施設・文化財古民家再生等からCI・店舗ロゴまで
❸ 多細な風土アプローチ:日本各地(20都府県以上)、風土地域を読み解く創作
❹ 多采な貢献:持続可能性建築、地域域貢献イベント主催等、多様なSDGs・CSRの取組み
❺ 多咲なスキル・メソッド:カラーセラピー・木育・福祉コーディネート・文化財ドクター

2坪のインテリアデザインから13,000㎡を超える大型プロジェクト

ジャンル用途は、テナントビル・物販・飲食・美容・ジム・アミューズメント・オフィス・保育園・老人ホーム・学校・公共施設・住宅・文化財古民家再生ほか多数

鉄筋コンクリート造・鉄骨造・在来木造・耐火木造、幅広い構造の選択肢
青森・秋田・岩手・山形・宮城・新潟・茨木・埼玉・東京・千葉・神奈川・長野・富山・石川・大阪・兵庫・岡山
様々な規模・多くの用途・実績エリアの広さ等、他の設計事務所にはない、多様な実績があります

持続可能・環境配慮設計にもいち早く、川崎SDGsゴールドパートナーは建築設計事務所では初期の登録
「木育」をテーマとした地域貢献イベント主催、他事務所にはないSDGs・CSR活動も積極的に取組んでいます

加えて、スタッフ全員カラーセラピスト
そしてそれぞれ、木育インストラクター・福祉住環境コーディネーター・ヘリテージマネージャー・神奈川県文化財ドクター等の資格を保有

クライアント・地域・利用者・居住者に寄り添うスキルとメソッドがあります

時を つなげる×いろどる 建築

古に学び × 今の想いを込めて × 未来を彩る
徹底したコンプライアンスによる
安心のコミュニケーション建築をデザイン
笑顔の日々を創造します 

クライアント・リピート率100%の一級建築士事務所(有)アトリエアイズ
携わったプロジェクトは250件を超えました(23.9現在)


#アトリエアイズ
#japanesearchitecture #japanesearchitect #japaneseinteriordesign #japaneseinteriordesigner #architecture
#architectdesign #interiordesign #interiordecoration #interiordesigner #shopdesign #showroomdesign
#atelieriz #建築設計 #建築デザイン #建築デザイナー #インテリアデザイン #店舗デザイン #木育インストラクター
#保育園設計 #老人ホーム設計 #福祉施設設計 #住宅設計 #古民家再生 #建築家との家づくり #デザイン住宅 
#川崎市 #川崎市設計 #川崎市建築設計 #神奈川県 #神奈川県設計 #神奈川県建築設計 #横浜市 #横浜市設計 #横浜市建築設計

神奈川県・川崎市其々でSDGsパートナーとして認定されています

2026/10/02

川崎まちづくり考~序3:街並みは、どこから始まるのか?

こんにちは。アトリエアイズ代表・管理建築士の今井博康です。

前回の序2では、二つの提案資料をもとに、一つの建物がまちを変えることを見てきました。そして、まちを変えるのは建物の用途ではなく、設計の提案であると書きました。

変える力があるからこそ、設計者はその力に責任を負います。では、その判断の手がかりは、どこにあるのでしょうか。

今回の問いは、これです。街並みは、どこから始まるのか?




街並みをつくる、四つの関係

では、街並みは何から始まるのでしょうか。私は、少なくとも四つの関係から始まると考えています。

道との関係 道の幅、曲がり方、建物と道との距離。道は、まちの中で最も長く残る骨格です。建物が建て替わっても、道の形は何十年、何百年と受け継がれていきます。

地形との関係 坂、川、台地、低地。土地の起伏は、道の通り方も、建物の並び方も決めてきました。川崎でいえば、南の臨海部の低地と、北の多摩丘陵とでは、まちの成り立ちがまったく違います。

隣の建物との関係 高さ、軒の線、素材、間口のリズム。隣とどう並ぶかで、通りの表情は大きく変わります。

暮らしとの関係 店先のにぎわい、朝夕の人の流れ、歩く速さ。街並みは、そこで営まれる暮らしの時間とも結びついています。


人と地域をつなぐ建築設計

設計の図面には、敷地境界線が引かれます。しかし、それは土地の権利を分ける線にすぎません。通りを歩く人に、敷地境界線は見えません。見えているのは、道と、隣の建物と、その間に建つ新しい建物の姿です。

だから設計は、敷地の内側から始めるのではなく、敷地の外を読むところから始まります。

序2で紹介した提案資料で、計画建物だけでなく、両隣の建物や通りを歩く人まで描いたのは、そのためです。建物を描くことは、その建物が加わる街並みを描くことでもあるのです。人と地域をつなぐ建築設計。それが、アトリエアイズの設計の考え方です。

建物は、そこで過ごす人と、その地域とを結ぶ存在でありたい。だから私たちは、敷地の中を考える前に、まず地域を読むことから設計を始めます。


まちの「なぜ」を読む。古民家を読むように。

文化財や古民家に向き合うとき、私たちは常に問いかけます。なぜこの形なのか。なぜこの寸法なのか。なぜこの納まりなのか。


まちにも、同じ問いを向けることができます。

なぜこの道は、ここで曲がっているのか。 なぜこの通りの建物は、この高さで揃っているのか。 なぜここには、昔から店が並んでいるのか。

古民家が長い時間の中で選ばれ、残されてきた建築であるように、街並みもまた、時間の積み重ねの中で形づくられてきたものです。その理由を読み解かずに、新しい建物を加えることはできません。


■ まとめ

街並みは、道、地形、隣の建物、そして暮らしとの関係の中から始まります。一つの建物がまちを変えるのは、その関係を変えるからです。

だからこそ、設計は敷地の外を読むことから始まるのです。


序章の三回では、川崎のまちで何が起きているのか、一つの建物がまちを変えること、そして街並みが関係から始まることを考えてきました。

次回からは、いよいよ川崎のまちそのものを読んでいきます。最初に向き合うのは、このまちの最も古い層、東海道の宿場町として始まった川崎です。

────

COMMUNICATION BUILDING
人と地域を紡ぐ建築設計
アトリエアイズWEB:a-iz.co.jp

────

『リピート率100%・かながわオンリーワンの設計事務所』
一級建築士事務所(有)アトリエアイズは、神奈川県でオンリーワンの建築士事務所
川崎市・横浜市・鎌倉市に拠点があり、多彩な実績と専門性で、日々の暮らしとまちづくりを支えています。

地域密着でありながら、広域展開の実績も豊富な実績があり
古:文化財古民家再生継承~今:ヒアリング×クリエイティブ~未来:持続可能・環境配慮設計に取組んでいます

❶ 多彩な実績:2坪の店舗から13,000㎡を超える大型複合施設設計
❷ 多才な専門性:商業・店舗・福祉・住宅系・公共施設・文化財古民家再生等からCI・店舗ロゴまで
❸ 多細な風土アプローチ:日本各地(20都府県以上)、風土地域を読み解く創作
❹ 多采な貢献:持続可能性建築、地域域貢献イベント主催等、多様なSDGs・CSRの取組み
❺ 多咲なスキル・メソッド:カラーセラピー・木育・福祉コーディネート・文化財ドクター

2坪のインテリアデザインから13,000㎡を超える大型プロジェクト

ジャンル用途は、テナントビル・物販・飲食・美容・ジム・アミューズメント・オフィス・保育園・老人ホーム・学校・公共施設・住宅・文化財古民家再生ほか多数

鉄筋コンクリート造・鉄骨造・在来木造・耐火木造、幅広い構造の選択肢
青森・秋田・岩手・山形・宮城・新潟・茨木・埼玉・東京・千葉・神奈川・長野・富山・石川・大阪・兵庫・岡山
様々な規模・多くの用途・実績エリアの広さ等、他の設計事務所にはない、多様な実績があります

持続可能・環境配慮設計にもいち早く、川崎SDGsゴールドパートナーは建築設計事務所では初期の登録
「木育」をテーマとした地域貢献イベント主催、他事務所にはないSDGs・CSR活動も積極的に取組んでいます

加えて、スタッフ全員カラーセラピスト
そしてそれぞれ、木育インストラクター・福祉住環境コーディネーター・ヘリテージマネージャー・神奈川県文化財ドクター等の資格を保有

クライアント・地域・利用者・居住者に寄り添うスキルとメソッドがあります

時を つなげる×いろどる 建築

古に学び × 今の想いを込めて × 未来を彩る
徹底したコンプライアンスによる
安心のコミュニケーション建築をデザイン
笑顔の日々を創造します 

クライアント・リピート率100%の一級建築士事務所(有)アトリエアイズ
携わったプロジェクトは250件を超えました(23.9現在)


#アトリエアイズ
#japanesearchitecture #japanesearchitect #japaneseinteriordesign #japaneseinteriordesigner #architecture
#architectdesign #interiordesign #interiordecoration #interiordesigner #shopdesign #showroomdesign
#atelieriz #建築設計 #建築デザイン #建築デザイナー #インテリアデザイン #店舗デザイン #木育インストラクター
#保育園設計 #老人ホーム設計 #福祉施設設計 #住宅設計 #古民家再生 #建築家との家づくり #デザイン住宅 
#川崎市 #川崎市設計 #川崎市建築設計 #神奈川県 #神奈川県設計 #神奈川県建築設計 #横浜市 #横浜市設計 #横浜市建築設計

神奈川県・川崎市其々でSDGsパートナーとして認定されています