2020/04/30

9月入学

コロナ禍により、学校は9月入学という話も浮上してきました。

中学三年生の子を持つ親としては、制度改正よりも、まず今、
何某か学習を進捗させる手立てを打って欲しい気持ちの方が強いです。

現状、家庭学習のプリントが配信されているだけです。
プリントの配信ができるのであれば、オンライン授業も可能なように思いますが、
2月の休校以来、状況は殆ど変わっていない・・・・


友達百人。

だれとでも仲良く、仲間は多いほうがいい。
おそらく、子供のころ私はそう教わっていたと思っています。

今改めて思うのは、やっぱりそれは間違い。

「人とのつながりを大事にする」ことを尊重することで、
やはり、仲良しが100人とは違う。

こんな時世こそ「つながり」を慮る。
そのための手立てを考える。

そこでの大前提は「トライ・アンド・エラー」。
そして、それを関わる各位が認識すること。
トライを尊重し、エラーを歓迎し決して叩かず、ブラッシュアップ。

これは、オンライン授業をスタンダートとすることではなくて、
今後世の中が正常化した時も、もう一つの手法として機能する
可能性もあろうかと思えたりします。
単純に、家庭学習・長期休暇中の復習・確認にも有効ではないかと・・・

もちろん、様々な手法があっていい。

制度の改革は、その「トライ・アンド・エラー」の次かと思います。


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2020/04/15

デジタル

新型コロナで、人との物理的な距離は遠くなりました。
その代わりデジタルツールを活用しなくてはなりませんが、
デジタルを活用したコミュニケーションは、
安易に「遠い間柄」のままとは言い難いのではないでしょうか。

「その時間」を共有・シェアすることで、
「思い」はつながるし、醸造もできるでしょう。

むしろ、WEBツールではいい意味で「電話よりもだらだと長く」もなりました。
同じフロアで、パソコン越しに話しているような感覚でしょうか。
それはそれで、お互いのつながりを創る、大事な時間です。


コロナ以前に、某業務でWEB会議を提案した時に、
そんなもの・・・的な反応で、実現しませんでした。
複数名になるので、集まれない・手元業務の手が離せないメンバーには、
途中からでもテレビ電話で参加してもらっては、という主旨でしたが・・・・
直接面と向かって話ができない会議に抵抗があったようです。

その後、人付き合いは「デジタルは良くない、アナログでないと」との
意見を多々いただくことになりました。
「参加しづらいメンバーをせめてWEBだけでも」という思いは、
デジタルかアナログかの二元論に変わっていました。


しかし、デジタルでも、アナログでも、道具・ツールの使い方は、人次第・思い次第。


コロナ渦中を早く脱したい思いとともに、
致し方無く陥った状況の中から、
それでもこの期間で培えるものを耕すことができれば、
何某かのカタチで次に繋がる・・・・と、思っています。



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友達百人




友達百人。

だれとでも仲良く、仲間は多いほうがいい。

おそらく、子供のころ私はそう教わっていたと思っています。

しかし・・・今現在の私は、だれとでも仲良くは出来ていないし、
むしろ仲間は少数精鋭でチームを組めることを目指しています。

シェア・共有、SNSの現在、より強調化してきたように見えますが、
ただ今までより顕在化しただけ、であるようにも感じます。

初対面では、やはり共通の話題を見つけらたほうが、
相互の距離感は早く縮まります。
私も初めてお話しすときは、まずは共通項を探します。

しかし、面白さが倍増するのは、共通項の先にある、相互の違い。

情報であったり、経験、価値観であったり・・・・
私と違うということは、私の知らなかった世界観、不足している経験を、その方が持っているということ。

と言うか、人間が違えば、その経験は当然違います。

その違いをリスペクトし、相互に刺激をしあえる関係・チームは、活気があります。

「長いものに巻かれろ」的な世の中もあるようですが、
そもそも「それが長い」かどうかも微妙では・・・・・・


「違いを認識する」それが意匠設計の仕事スタートだと考えてもいます。

クライアントと私はイコールではありません。

私の拘りのみでカタチを創るのであれば、本来、私自身がクライアントであるべきで、
クライアントが使い続ける空間であれば、クライアント自身の思い入れをもっていて頂きたい。

それには、クライアントの思い・嗜好・思想が原点であるべきだと考えています。
それを設計者が受け取り・読み取り、設計者のフィルターを通しアウトプットする。
ただし、クライアントの予想の超える提案で・・・・。

他にも、設計要件には、立地的要件、まちなみ、気候風土等、様々あります。

クライアントの思い、私のフィルター、各種要件が「化学反応」を起こしたときに、おもしろい空間が生まれると考えています。


共有友達は百人いる必要はありません。
違いを認識・リスペクトしあえる人間関係であることの方が重要です。

2020/04/07

テレワーク

テレワークは従前より実働していました。

デジタルツールなどを使用したコミュニケーションは、
確かに直接お会いして交わす会話より濃度が薄く・短いとは思います。

ですが働く場において「コミュニケーションの濃度・長さ」を第一義にすると、
どうしても働くことを諦めないといけない人がいます。

例えば、子育て中のお母さん。
(本当はお父さんも同義なはずですが、まだまだ実情はちがいますね。)

子育てと家事で手一杯、できれば子供のそばに長くいたいのに・・・・

フルタイムで働くと、どうしても子供を預けないとならない。
疲れて帰ってきて、休む間もなく家事となると、疲労困憊。
ストレスは大きなものでしょう。


概ね週3回の出社で10時~15時の勤務。
お子さんが長期休暇の場合は、本人の希望日出社で、
後は在宅ワークで対応してもらっています。
自宅にパソコンがあれば、データのやり取りはクラウド、連絡はライン等。

勤務していただく方の状況に応じて、会社が対応・調整を柔軟に変化させる。
概ね1年、実働してみましたが、特に大きな問題もなく。非常にスムーズでした。


「仕事場での濃厚なコミュニケーション」より「子育てしながら働ける環境」を優先して
考えたテレワーク・スタイルです。

「これまでの会社」は、給与・福利厚生を働き手に提供していました。
テレワーク・スタイルでは「スタッフの自由時間確保」も会社が助けることができる実感もあります。

「自由な働き方」があっていい。

できれば、親御さんはお子さんのそばに少しでも長くいてあげてほしい。
そんな家庭が増えるといい。

その方が、きっと、次世代を担う子供達には何某かよい影響があるのではないか。
生意気にもそんなことをイメージしたりします。

新型コロナで、いよいよ高まる閉塞感。

このような形で、テレワークが機能するのは残念ですが、
今後の社会の働き方も変わってくるのではないかと思います。

その分、より濃厚なコミュニケーションの場となる、
飲食店や余暇産業の存在は、社会的にもより重要な場所となるとも思います。
そちらは、実の業務である空間デザインで貢献を。


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2020/03/31

承認欲求



「承認欲求」

SNS時代の象徴ように使われる言葉。
あまり良いイメージではない使われ方をしているようです。
どちらかと言えば「いいでしょ~私」な、優越感を得たい、他者比較があるようです。

しかし、そもそも「他者に認めてほしい気持ち」は根本的に誰でもが持っていて、
他人を評価しあうのが人間社会・資本経済のシステム。

そして、これまでの教育は、その「承認」「評価」を、大多数から得られるようにとされてきました。

いわゆる「友達たくさん」。

その「友達たくさん」には前提が隠れています。

「みな同じように」在ること。

私もそのような教育を受けてきた実感があります。
そうして育った大人の社会も「みな同じように」という「空気」があるように感じます。

しかし、その前提と、同列、むしろさらなる前提が、あるべきと考えています。

人には「違うところが、たくさんある」ことを、何よりも、まず認める。

確かに、はじまりは共通項があるほうが、人は打ち解けやすいです。

しかし、同じところもあれば、違うところもある。

「違うところ」は
「違っていいところ」で
「違っていて面白いところ」。

同じは足し算。違うからこそ起きる、化学反応・相乗効果は、かけ算とも言えます。

「承認欲求」が、どこか不自然に感じるのは、過去の教育にも一因あるように感じると同時に、
昨今、私の子育てで垣間見る教育の試行錯誤も相まみえているようでもあります。

確かに、個性を意識はしているようですが、他者を思んばかるのとは、少々異なるような・・・
「個性」をはき違えた「マイペース」を放置しているような印象があります。
つまり「違い」の認知でなく、人間関係の放置。

他者と自身の「同じ」も「違い」も、まず認知し「他者を思んばかる」。
その前提にある「承認欲求」はとても自然な思いです。



そして、こんなご時世だからこそ、業界・世代・気分を切り取った断片的な非難・中傷・行動でなく、他者を思んばかった言動をしたいと思います。


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2020/03/11

消防団器具置場・詰所



311の4週間後、東北南三陸に仮設風呂設営のボランティアに行き、
自分の地元でも何某か関わらないと、と思い帰ってきました。
弊社なりの成果の一つが、地元消防団詰所の設計。

有事に尽力してくださる方々が、少しでも気持ちよく活動していただけるよう工夫。
これまので市の標準仕様変更まで踏み込み、
色彩や、照明器具の色温度等、独自提案しました。

カラースキーム・コンセプトは、まち並みに安心・安全を訴求する、
消防制服カラーです。
他の詰所と材料は同じでしたので、その大きな違いに驚いていただきました。

適度な存在感は、まち並みをつくる大切な要素。
それをボリューム化するのは、地に足の着いたコンセプトから紡ぐ素材・色彩、
クライアント・地域との意識の共感・共有です。


そして、内装は、日々の活動の活力になるような色彩。




詰所は、緊張・緊迫しながらも、少しでも心穏やかな助力になるよう、
温かみのある色温度・配光の照明計画を提案。



建築士ですので、まちづくりへの関りは、まずはその単体である建築の設計から。
今後も、地元のまちづくりに関わる意識・設計提案は続けていたいと思います。


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2020/03/10

チェックバック




 恫喝されました・・・・

某市内北部工務店、現場監督に「施工図面見てないだろ!」
ものすごい形相で怒鳴られました。
「まともな図面じゃないから見れないだろう!」と言って帰ってきました。

頭にきたので、彼の施工図にチェックをいれたら、真っ赤になりました。
パッと見て、全然だめだと思ったら、それがそのまま・・・
だから、もう1回確認して書き直してくれって言ってたのに・・・

設計図は、現場施工の段階では施工者検討作図による「施工図」として
各種工種・工程の調整、実際施工へと反映されます。
設計監理者は、法規順守・施主要望・設計思想と相反していないか、
施工図を確認します。

その赤入れが終わった段階の施工図面です。
これだけ赤いのは・・・・・初めてです。
概ね25年この仕事をしていますが初めでです。ここまで赤いの。

施工図面を見た瞬間から、錯誤が確認されましたので、
赤入れ前にもう一度確認して、修正しておいてほしい旨口頭で伝えました。
先方にもプライドがありますから、ここまで赤入れ・ダメ出しをされるのは
不本意のはずです。

数日後、現場で墨出位置寸法の確認をしていたのですが、
どうも話がかみ合わない。

 私は、元となる設計図を根拠に確認をしていましたが、
現場監督からの説明では異なる寸法が出てきます。
「現場がそうだからだ」というのが彼の言い分でした。

既存改修であれば、想定していたおさまりがつかないことはままあります。
しかしこの現場は新築。

なんでもない間仕切り壁の平面的な位置が、設計図と異なるはずがありません。
よくよく聞いてみると、間仕切りと絡む窓枠の取付位置を
なんとなくで決めていたようで、そこに合わせると壁の位置がずれるとのことでした。

本来、着手前に施工図は確認すべきですが、
施工図作図指示から2カ月たってから提出されていたのです。
当然、遅延する対応に再三指示を出していました。

行政の案件ですので、部局とも頭を抱えていたのですが・・・・
各所の取合い調整が未確認であれば、現場はこのような事態に陥ります。

こちらが理で話を続けると、当然現場の寸法設定は破綻、
作ったものの意味がなくなります。
ですので、彼は、人を恫喝せざるを得ない状況になり・・・

残念ながら、本来あるべき姿になるよう工事やり直しをすることになりました。


2020/03/04

変化


全集中!焼きの呼吸~
一の型!小手返し!😁😁😁
引きこもりも楽しくできればと、家お好み焼きな週末でした。

建築業界も、中国に工場がある大手メーカー製品が、納期遅延・受注中止など、かなり大きな影響が出ています。
今後、新型インフルエンザが、何時・どのように収束していくか、現時点では読めませんので、お施主さん始め不安感がまとわりつきます。

不安感を助長するつもりはありませんが、今出来ること、今後のこと、情報収集して考えざるを得ない状況になってしまった、と思います。

で、まずは、色々錯綜する情報・政策を目のあたりにして・・・・

普段、あまり政治的な思想を話す機会は少ないです。
支持政党・政治的思想を、明確にもっていないこともあります。
ただ、少し俯瞰した目線で、こうあったらいいなぁ・・・があります。

それは、複数の政党が、ほぼ同程度のチカラを持った政治。

例えば、アメリカの2大政党制等です。
感覚的には、3大政党くらいはあってもいいかと。
3角形は力学的にバランスの取れた最小単位の図形でもあり・・・

ですので、個人的には、現在の政権・利権の一極集中には、少々疑問を感じています。
政権・利権は適度に分散し、牽制しあいながらもバランス取り合う状態がよいように思います。

終戦直後の日本、解体された政界・財閥は結果的に、政権・利権の分散につながったようです。
そして、戦後の復興のなかで、当時の大人、私のおじいちゃん・おばあちゃん世代が、今では考えられない苦労を重ね、その後の経済成長・平和な暮らしにつなげてくれました。

ただ、戦後70年以上経過し、政権・利権もまた、纏まり・塊りつつあるように感じています。

経済活動があれば、社会の自然な流れではあるので、全否定はしません。
与党が、野党が・・・・というのも、少々性急な各論になりそうなので控えます。
また、富を全員に分配すればいい、という極論のつもりもありません。

ただ「もう少し偏りすぎないあり方」は、ありえないかなぁと・・・

経験したことが無いので、それが良いのか・悪いのか、言い切ることはできませんが
「変化がなくなる」ということは、「進化」にもつながりづらくなるので、
現状はちょっと残念な状態、な気がしています。



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2020/02/15

流行り

流行りに乗る・・・・・

とても軽薄な印象のあるもの言いです。

流行り廃りがあり、廃れるものは大したことのない事、そんな前提でしょうか。


私が新卒の頃、25年程前の木材は、
表情が繊細、材色が均一、狂いの少ない「柾目」がよい
とされる傾向が強かったです。
さらに柾目の木材は、工場では腕のよい職人によりミリ単位以下の精度、
現場では思慮深い職人により材質・材色を選別整理されるべき材料。
と、教えられました。

表情豊かな板目は安っぽい材、フシがあるものなど言語道断、そんな雰囲気でした。

しかし、最近では「板目」が主流。
表情豊かな素材として、それこそフシだって、それはそれで面白い
という傾向もあります。
加工についても、使い勝手に支障なければ、少々の粗さはぬくもりがある。
なんだか以前より、楽しく使われている感覚さえあります。

近年は国の政策もあり、木・木造・木材が見直され、
新しい構造、見せ方、使われ方も多様化しています。

「空前の木材ブーム」です。

そうなると、木質化ブームに乗ることは「軽薄」なのでしょうか?

国策ですから、建築業界たけでなく、流通・産業も変化を求められています。
変化は進化でもあります。
25年前とは流通も産業も技術が進んでいます。
私たちの手元に届くモノも変化・進化しているです。

つまり「流行りにのる」ことができるのは、
状況が変化・進化し、新しい価値を見いだす・見直すことができた結果なのです。

建築は一度造ると永い年月残ります。
造り手も永く快適に使って頂きたいので、その為多くのノウハウと労力を注ぎます。
ただ、その過程で、飽きない・変わらない「価値観」まで造る気持ちが入り込む。

しかし、そもそも何十年も価値観が見直されないことも如何なものでしょうか。

建築は永く残りますが、造るのはその存するスパンから比べたら一時。
そして、必ずその「造る一時」の時代背景に影響は受けてしまいます。

であるならば、むしろ前向きに「流行りに乗る」ことはできないでしょうか。

造った時の「思い出」。

「造る一時」は時間の経過と共に「思い出」になります。


流行りに乗る・・・・・

流行り廃りがあり、廃れるものは大したことのない事、となってしまうのは「ただ享受」した結果。

思慮・検討は、変化・進化に繋がり、それは、思い出の積み重ねに繋がっています。

つまり、「流行りに乗る」ことは、ポジティブに捉えるべきで、向き合い、某かに繋げていくことのできる行為・創造活動であるのです。



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本物の素材



建築設計の創り手からよく聞かれるのが「本物の素材は飽きない」という話。
そもそも、フェイクはどれだけよくできていても、
本物の素材がもつ「風合い」「存在感」等はとても敵いません。

しかし「飽きない」という言葉遣いは少々「その意味」の履き違えがあります。
人の心理を考えますと「変化しない」ものは「飽きやすい」です。
人工建材は「劣化」という「好ましくない変化」をしているので「飽きやすい」のです。
本物=天然素材は「風合いが増す」ので「よい変化」をしているので「飽きがきずらい」。

飽きる飽きないは、本物の素材云々ではなく「人の心理変化」と向きうべきで、
創り手が語る「飽きない」は、あくまで物質価値という、とても狭い領域にあります。

ちょっと厳しい表現をしますと、
「本物の素材は飽きない」という論理の創り手は、本物の素材を活かしてはいません。
本物の素材に頼ってモノづくりをしているのです。

2020/01/31

シルバー建材


写真はアイズでデザインしたパチンコ店です。
遊興施設にありがちな、けばけばしいデザインをあえて避け、安心できる佇まいを訴求しました。
素材はアルミ。横格子に組んだルーバーで、断面はかまぼこ型。少しむくりがあるので、ルーバー一本一本にやわらな陰影がでます。

銀色、シルバー色の建材。カッコイイですね。
素材としては、ガルバリウム鋼鈑、アルミ、ステンレス等々。
建材としては、外壁、屋根、ルーバー等々、豊富です。

シルバー色の建材は、ボリューム感によってはマシッブでありながら、軽快感もあり、ごてごて飾るより、シンプルで、スマートで、飽きがこない・・・・

ただ・・・・・
しばらく前から世の中には「シルバー信仰」のようなものがありました。

シルバーならカッコイイという感覚。

日本のまち並みは、往々にして、カラフルというより、雑迫な印象があります。それは、其々の「個の嗜好」がとっちらかったまま集積、連単となっているからです。

確かに、そのなかにあって「シルバー」はミニマムで、明快で、それでいて、まち並みを阻害しない。潔く、その嗜好・価値観を表現する素材です。
場合によっては、いい意味で存在感が希薄にもなり得ます。
特に、住宅では、住まい手のライフスタイルを、表現する建材です。

しかし、公共、もしくは公共的な建物においてはいかがでしょうか。

まちの中にあって「それなりの存在感」は、地域の安心・安全に繋がったり、まちの豊かな表情に繋がります。

まちが、カラフルがいい、ということでないのです。

住宅や店舗など嗜好・志向の色濃い建物ではなく、公共的な建築で「なぜこの建物はシルバーなのか?」という疑問を感じたことがままあるのです。
公共なのに、なんだか冷たいというか、無機質というか・・・そんな印象がありました。

それら、シルバーの建物を設計・選択するプロセスには何があったのか?
シルバーを選択した理由は何なのか?

私にはあまりよいイメージを連想することが出来ませんてました。


選ぶ前に「なぜそれを選ぶのか」を考えるのが自分のシゴトです。

結局、建築に向かうのか、ベクトルの先に建築があるのか。と同じですね。

シルバーにありきで向かうのか、試行錯誤したベクトルの先にシルバー建材があるのか。

それは、本当に大きな違いです。


そして、最近は「木・木造・木材」へ潮流が流れています。

なるほど、その時には一見それが揺るぎない嗜好・価値観に見えても、時代は流れているようです。

そうなると時代が「シルバー」に飽きてしまったりしたのでしょうか?

そうなると、シルバーを選択したのは、単なる流行りに乗ったことになります。

そう、流行りです。

てば、流行りにのることはネガティブなのか・・・

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2020/01/20

ベクトル



ベクトル⇒力学で、力点の始点・終点を結んだ、矢印の向きと大きさ。

ベクトルが建築に向かうのか、向いたベクトルの先に建築があるのか、成果として建物ができるのは、同じように感じるかもしれません。

ただ、建築を設計する過程で「ベクトルの向き」にこだわるのは「建築の目的」にあります。
ですので、向きというより「設計のスタート地点」の違いのほうが分かりやすいかもしれません。

建築はその存在に、様々な内的・外的要件が関わり錯綜します。
共通要件は「人々が某かの行為をする単位空間」であることのみ。

過去に「建築は総合芸術である」とした思想もありましたが、あくまで一義的な空間単位でなく芸術ととらえよ、という文化的思考です。

となると、建築=総合芸術とするのは少々狭義的で、様々な建築のありかた、空間用途の活用を、息苦しく、案外つまらないものにしかねません。

もちろん、そもそも何の思想・志向・嗜好なく創作された建築は論外ではあります。

しかし、その逆、「人々が某かの行為をする単位空間」である以上、論外なものが生産される事実もあります。

実際、日本の戦後建築史は、文化と経済が完全に2分された側面もみられます、
芸術的な建築と、採算性オンリーの建築が、大量発生大量消費の時代には両極で存在していました。
その後、価値観は多様化し、芸術・経済、その垣根もさらに混沌としています。

まさにカオスです。

建築という終点に向かうベクトルが交錯しています。


アトリエ系設計事務所では、建築へ向かうベクトルは、総合芸術へ向かいたがります。
いわゆる作品づくり。
その結果、人の行為よりも、芸術的な単位空間が優先される建築がうまれます。

逆の場合は、経済性一辺倒で、なんとも味気なく、ぬくもりのない空間単位の羅列になります。


使いどころのよく分からない「無駄に大きな空間の見せ場」や、その逆、使い勝手だけ考えた味気ない「経済性優先の空間」が巷に溢れるあるのは、「最初から」ベクトルが「その目的」に向かっているのです。
おそらくその方が、作りたい、売りやすい、瞬間的な評価が得やすいというのもあるでしょう。

その違いがわかりずらいのは・・・
「建築ありき」であることを、それぞれ創り手が疑っていないこと。
芸術性にせよ、経済性にせよ、建築設計では当然すぎて、設計する側がそれに疑問を持たない。

疑問を持たないと「こうあるべき」が強くなる傾向があります。

ではなく、「こうあるべき」より、着地点を
「あぁ、こういうのもありだな・・・」を目指そうとすると、
「設計のスタート地点」そのものが別のところになります。
「ベクトル」そのものが違ってきます。


前職や創業時とは、「ベクトル」「設計のスタート地点」は、明らかに違うところにあると感じています。


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2020/01/17

職人?



基本、職人さんと建築士(設計)は職能が異なり、
その違いでのやり取りが、面白み醍醐味です。
ですが、職人さんがカッコイイあまり、職人的な立ち位置で、
仕事のアプローチをとりたがる建築士(設計)さんとの会話が、
正直、同じ建築士(設計)としては、最近ちょっとつまらないです。
やっぱり、建築士(設計)は職人ではないし、強みはちがうと思うのです。

設計者だからこそのデザイン・アプローチが売りのはずです。

2020/01/09

元請け

川崎市には100以上、神奈川県では15000以上の建築士事務所があります。
資格とパソコンさせあれば、独立開業出来るとよく言われています。

設計の仕事がそれほどあるのか・・・

ありません。

多くの事務所は、他の事務所の下請けや確認申請代行、もしくは大学や資格学校の非常勤講師など、それぞれ様々なキャッシュポイントがありますので、それぞれ得意分野で経営されています。

クライアントから元請けとして経営をなりたたせているのは、感覚的には1割あるかないかでしょうか。
残念ながら2:8の理論、パレートの法則もあてはまりません。
アチーブメント系の成功者5%の理屈のほうが、割合的に近いかもしれません。

独立以来、元請け事務所としてこだわってきました。
勿論、そう簡単にはいかず山あり谷あり・・・腎臓が弱いのも一時期の無理が祟ったのは否めません。

しかし、様々なご縁にも恵まれ16年間での下請け比率は5%程度。
その下請けも、それまで経験のなかったエステ業界など、スキルアップにつながる業務を選んできました。自分なりに元請け事務所として、取り組んできたつもりです。

元請けと下請け、建築士事務所業界では他の業種・業態と、かなり異なる側面があります。

それは「業務に対しての責任」です。

元請けは勿論責任を負います。
法律上丸投げは禁止になっていますので、下請けは作図だけで、元請けの管理建築士の責任で確認します。つまり、下請けの責任感は希薄になります。

ですので、案外下請けは気楽なんです。

仲間同士協力をお願いすることはあります。その時は、単に元請け・下請けでなく協働意識で協力をあおぎます。

勿論、責任は私元請けですが、ありがたいことに、お気楽でない仕事仲間に恵まれています。

いわゆる、コラボレーションです。


ワーカホリック



仕事は大好きです。

一級建築事務所業務を生業にしています。
建物の設計・現場の法的な監理が、建築士の業務です。
我々同業のビックネームは、安藤忠雄氏や隈研吾氏です。その他、同業他社は星の数ほどいます。

先輩・同輩・後輩、同業仲間とコミュニケーションをとりますが、世代問わずみんなよく建築を知っています。
その情報量・記憶メモリー容量の大きさは、流石それなりに難関と言われる国家資格取得者です。そしてそのメモリー能力を遺憾なく発揮する、建築愛を持って仕事に取り組んでいます。

私は恥ずかしながら、その脳内情報量は同輩に敵わないと思うことがあります。
建築好きという側面では敵わないです。

ただ、仕事好きとなると、そう簡単には負けません。
むしろまわりが引くほどのワーカホリックではないかと・・・。

体力さえもてば、気持ちは問題ないです。休みは、なくてもいいです。典型的なワーカホリックだと思います。
あえて生意気を言いますと、彼らより労働時間は長いです。それを嫌とも思っていません。

私の脳内情報量は限られるので、単なる情報であればネットなど頭の外に置いてあればよいとして、むしろ要は検索スキルとその時間の確保。
脳内は記憶よりも、洞察・思考・創造=ワークにメモリーを使うべきとも感じてます。
記憶容量より、処理能力。HDDよりRAM,SSDが強み、と言ったところでしょうか。

なので、私の建築へのベクトルが、業界スタンダードでないように感じています。
建築ありきなのが、プロセスの先に建築があるのか。私は後者のつもりです。

設計の仕事自体プロセスを積み重ねないと出来ませんので、全てが後者に見えますが・・・

例えば、商業施設を提案するとき、マーケティング的な分析のうえで、事業計画を提案し、その為のカタチをつくります。
実はこれらは独立してから私なりに積み重ねたプロセスです。
独立前は、敷地があり、面白い平面計画を提案して、事業計画書を添付しました。

つまり、プロセスが逆なのです。 

ベクトルが建築に向いているのではなくて、向いたベクトルの先に建築がある。そんな感覚です。

ですので、場合よっては目玉の空間、例えば大きな吹抜ホール空間のような、建築的な見せ場が無い提案もすることがあります。
必要が無いからです。

ホールのような大きな単位空間で、建築的な見せ場が無いような建物は、建築好きには駄作です。実際、私の計画案をみ見た方に言われたことがあります「建築として絵にならない」。大きな空間空間単位ありき=見せ場のある魅力的な建築、という捉え方をすると、建築として面白くないと・・・・

しかし、見せ場がなくても、居心地の良い建築をデザインすることはできます。

居心地の良い空間は、魅力的ではありませんか?
居心地のために大きな単位空間がなければ、その建築に魅力はないのでしょうか?
そうなると、大きな見せ場は「必要」なのでしょうか?

居心地を優先なのか、建築の見せ場が優先なのか。

向いているベクトルが根本的に違うと思うのは、そんな理由です。



なので、ワーカホリック=建築好きとはちょっと違うのかなと・・・


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2020/01/08

フラット




私の仕事をするうえでの関わるメンバーは
「違いが面白い人」が多いと思っています。

そもそも、建築は多岐にわたる専門性をもったメンバーが集まって
出来上がるものであるので、技術的な部分は、当然得意分野が違う。

得意分野が違えば、違った考え・間隔・仕事のやりかたがあって当然。
価値観も他者であれば、全て同じではなく、
むしろそれらの違いが「化学反応」を起こし、
面白いアプローチ、面白い結果、面白いカタチ・空間になる。

もちろん、目的・目標があまりにも違うと、
「自己満足の承認欲求」という害でしかないケースはあり得ます。
しかし、それぞれが「達成欲求」を持っていないと「化学反応」は起きません。

そんな「違いが面白い人」がアイズのチームには揃っています。






2020/01/01

新春


あけましておめでとうございます。

令和初めてのお正月。新しい時代の始まり。
新しい時代を一歩づつ、階段を一段一段と・・・・


そこで年越しから、改めて「建築設計事務所のビジネス・モデル」を考えてみていますが・・・


建築設計事務所業界の天望は・・・

経済成長とバブルで散々とっちらかされ、右肩下がりというか、もう何もない絶望的なマーケット・・・

なのに、今だに有象無象ひしめく真紅深紅なレッドオーシャン・・・

大多数はAIに代替わりするであろう、製品・工業化された大手設計事務所・ハウスメーカーの建築士設計業務・・・

それは他人事として、危機感を抱かず、プライドはあるけど、実は安価な業務に追われ疲弊する、中小建築士事務所・・・

ほとんど下請け業務で、中途半端に広いノウハウはあるが、責任を取る立場はとらず、お気楽で建築オタクなだけな零細建築士事務所・・・

相対数が減っているのに、会員増加を謳いながら、名誉を求めることしかせず、実は足を引っ張りあい、未来を天望できない業界団体・・・

未来の見えない無責任な「やりがい」だけを振りかざし、次世代を作ろうというノー天気な育成・教育・・・

いやいやいや、笑えるくらいに希望的な要因がない我業界、私の立ち位置(T_T)



その中で、選択肢はおそらく2つ。

一つは・・・撤退。

もう一つは・・・ミネバにだした一杯のコーヒーがつくる「微笑みがつなぐ」的なやつ!


リアルで何某かに繋がるカタチを、コツコツ創っていくしかないんだなと、改めて令和に思います。

新しい時代を一歩一歩、一段一段・・・・・・



本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


令和二年 元旦

有限会社 アトリエ アイズ 今井博康

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2019/12/27

暮れ

2019年も暮れてゆきますね。

年の瀬に腎臓疾患再発で、関係各位にはご迷惑おかけし大変失礼いたしました。また、併せてご心配ご助力いただき本当にありがとうございました。

今年・・・というより、一昨年よりつづく怒濤の忙しさでした。遠方福島でのお仕事や、地元川崎市の公共施設設計のお仕事など。
公共施設案件を受託するため、入札登録をしてから三年目が昨年。少しずつ指名も増え、三年生…四年生としては、少々出来すぎなほどでした。

持病再発については、ワーカホリック、働きすぎであることは否めませんが、数年前に切り替えた新しい投薬が候をそうし、安定期が長くなった分、再発が予期しずらかった反省があります。
ただ、何事も学習、新しいケースもだいたい分かりましたので、今後の対処は随分とよいタイミングを狙えるようになると思います。

あと・・・働きすぎを反省すると同時に、移転先の地元神社と身代わり不動尊へのご挨拶が薄かったことも大いに反省し、改善の報告とお礼参りをいたしました。

今年のゆく年くる年は穏やかに過ごす予定です。

皆様におかれましても、よいお年をお迎えくださるようお祈りいたします。


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2019/12/17

動機付け


建築デザインにおいて、

動機付けとは
→人のここがうごく
→行動・導線の展開 とすると、

ある用途を設計しようしたとき、

偏った用途の設計ノウハウの羅列→狭義な情報「提供」
様々な用途の設計ノウハウの展開→膨大な情報「処理」

となります。

前回ブログの
『人を動機付ける情報提供の工夫は、一義的な設計計画に加え、二義的な配慮が効果的で、訴求力があります。
・サイン計画が楽しくかつ明確にデザイン
・分かりにくさを興味探求に転換した導線の連続』は、利用者への訴求効果についての関係性を、

偏った用途の設計ノウハウ:画一的記号添付
様々な用途の設計ノウハウ:多彩なデザイン展開

と捉えることができ、選択肢の多彩さは、利用者への興味誘因につながるです。

つまり、専門的ノウハウに加え、それ意外の経験値を付加・展開すると、単位空間を有効活用し、魅力的な建築デザインにつながると言えます。